【画像】ムロツヨシの若い頃エピソード3選!大学中退にヤニーズクビ!

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映画にドラマ、バラエティー番組などに引っ張りだこの俳優「ムロツヨシ」さん。

遅咲きの俳優としてご存知の方も多いでしょう。

下積み時代が長く、かなりの苦労と葛藤の末にブレイクを果たしました。

今回は、そんなムロツヨシさんの下積み時代の姿を調査しました。

今回の調査内容
  • ムロツヨシの、若い頃(下積み時代)のエピソード
  • ムロツヨシが、ブレイクを果たしたきっかけ
  • ムロツヨシの、キーパーソン

ぜひ、最後までお付き合いください。

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目次

ムロツヨシの若い頃(下積み時代)のエピソード3選

ムロツヨシさんは、1995年。19歳の時に芸能の世界に飛び込みました。

それでは、下積み時代の若いムロさんにとって、転機と言えるエピソードを見ていきましょう。

ep1.役者になることを決め、大学を3週間で中退する

段田さん、ムロさんにとって人生のキーパーソンの一人です。

ムロさんは、高校卒業後に大学受験に失敗するも一浪の末、東京理科大学理学部に入学します。

入学して間もなく、目標を持つ同級生に触れて、自分がいかに目標や夢に無頓着だったかに気づかされたそうです。

感受性豊かだった大学生のムロさんはある日、ファンだった深津絵里さんが出演の舞台「陽だまりの樹」を観に行きました。

ラストのシーンで俳優「段田安則さん」が涙を流すシーンをみて、圧倒され自分も俳優になることを決めます。

すぐに大学を自主退学(中退)し、俳優養成所に入所したのは1995年、19歳の年でした。

若さもあるでしょうが、スゴイ行動力です。

「ムロ青年」は、お芝居の世界に魅了されたのでしょうね。

ep2.劇団「ヤニーズ」を旗揚げ、すぐクビになる

アルバイト生活をしながら小さな劇団の舞台に出ていました。

小さな劇団の研究生として、舞台に出ながら芝居の勉強をしていたムロさん。

自身で劇団を立ち上げることを思いつきました。

当時のことをこのように述べています。

そこで教われば教わるほど「劇団に入って役者をやるよりも、自分で芝居を作らないと納得いかないだろうな」と思うようになって。
むしろ、逆にそれを教わった感覚です。
そこでまず一人芝居を始めて、その後に自分で仲間たちを集めて集団としての芝居作りを始めました。

CREA(2022/06/23)

2001年には芝居仲間を集めて、劇団「ヤニーズ」を立ち上げます。

しかし、立ち上げ後すぐに劇団内でクーデターが起こります。

「ムロは熱すぎてオレたちとは違う」と言われ、ムロさんは劇団の発起人であるにもかかわらずクビになりました

自身の芝居に対する考え方と、周りの熱量に大きな差を感じる出来事になりました。

その後、お笑いライブに出演するなど、新たな道を求めて迷走することになります。

この頃はムロさんにとって、どん底の時代と言えるでしょう。

ep3.人生を大きく変えた一枚の名刺

2003年当時、すっかり役者としての自信を無くしていたムロさん。

尊敬する先輩方から、「プライドを捨てて他人にもっと自分をアピールしないとダメだ」とアドバイスをもらいます。

そこで、思いついたのが自分の名刺を出会った人に配りまくる作戦だったようです。

当時は、SNSがなかった時代で、自分をアピールできる手段も限られていました。

配った名刺は数百枚に及び、その中の一枚により、ムロさんに映画のオファーが転がり込んでくるのです。

ムロさんに映画のオファーを出したのは、踊る大捜査線シリーズを手掛ける本広克行監督でした。

2005年の映画『サマータイムマシン・ブルース』で初の映画出演を果たすと、芝居の世界で初めて収入を得ました。

この時、ムロツヨシさん29歳。

芸能の世界に飛び込んで、10年目のことです。

これをきっかけに、踊る大捜査線シリーズにも次々に出演を果たします。

一枚の名刺がムロさんの人生を大きく変えることになったのです。

サマータイムマシンブルース、石松大悟役
踊る大捜査線、倉橋大助役
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ムロツヨシがブレイクのきっかけは、映画監督・福田雄一の「妻からの命令」

「2018年エランドール賞」を受賞したムロさんと、お祝いに駆けつけた福田雄一監督

映画監督の福田雄一さんの作品にとって、いまや欠かせない存在となっているムロさん。

ムロさんへは、福田監督が積極的にオファーしたのではなく、きっかけは奥さんからの「命令だったようなのです。

2008年に手がけたドラマ『33分探偵』(フジテレビ系)。
この中で、まだまったく無名だったムロが、子どもの誘拐犯として起用されていたという。
その子ども役に、子役をやっていた自分の息子が選ばれたため、妻も引率で撮影を見学

 すると帰宅後、妻から「今日、ムロツヨシくんという素晴らしい役者に会ったから、明日会ってきなさい」と命じられたという。
しかも「これからずっと仕事するかもしれない人だから」と執拗に迫られ、福田は翌日ムロと焼肉店で対面した。
そしてちょうどその時、準備中の映画で決まっていなかった役がムロに適していると思い、その場でオファー。

RBB TODAY(2018/9/14)

この出来事があって以来、ムロさんは福田作品には欠かさず出演。

その数は20本以上で、多くのヒット作を世に送り出しています。

さらに福田監督は奥さんから、『ムロと二朗は手放すな』とずっと言われているようです。

福田作品の2トップを指名!

ヒットメーカーは、福田監督の奥さん?かもしれませんね。

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まとめ

今回は、俳優「ムロツヨシ」さんの下積み時代にフォーカスして調査しました。

19歳の時にお芝居の世界に憧れを抱き、大学を中退して俳優養成所の門をたたいたムロさん。

その後は15年という長い長い下積み時代を経てブレイクを果たします。

そして転機には、かならずキーパーソンの存在がありました。

今回は、ムロさんのエピソードの一部を紹介しました。

またの機会に、ほかのエピソードも紹介したいと思います。

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