12月3日に放送された「まつもtoなかい」で、元KAT-TUNのメンバー「赤西仁」が、約10年ぶりのバラエティ出演が発表されました。
発表後には、「仁くんが地上波に…信じられない…嬉しすぎる…ほんとに嬉しい」「赤西仁くんが!!! 10年ぶりにバラエティ!?」など。
驚きの声がネットを駆けめぐりました。
2014年に、旧ジャニーズ事務所を退所したあとは、主なメディアでの露出がありませんでした。
そんな「赤西仁」の芸能界デビューから現在での軌跡を追いかけました。
ぜひ、最後まで赤西仁のヒストリーをご覧ください。
芸能界入りは中学2年生
1998年11月8日、中学2年生の時にジャニーズ事務所のオーディションを受けるも、結果は不合格。からのまさかの合格!
本人が語るに、「オーディションの時に借りていた名札を返却した人物が、偶然にもジャニー喜多川社長だった。その名札の番号が、たまたまNo.1だったため、”YOUも残っちゃいなよ”と言われて合格した!」
とのこと。
何か光るものを持っている少年だったようです。
- 1984年7月4日 東京都江東区生まれ
- 身長 175.6cm
- 血液型 O型
2000年からジャニーズJr.として「B.A.D.」や「M.A.D.」に参加。
2001年に堂本光一の専属バックダンサーとして結成された「KAT-TUN」のメンバーに選ばれる。
なお、「KAT-TUN」の結成メンバーは、亀梨和也(K)、赤西仁(A)、田口淳之介(T)、田中聖(T)、上田竜也(U)、中丸雄一(N) の6人。
2023年現在は、亀梨(KA)、上田(T-TU)、中丸(N)の3人で活動中です。
ドラマ出演や音楽活動など、幅広いジャンルで活躍
2005年1月からKAT-TUNメンバー「亀梨和也」とともに出演したテレビドラマ『ごくせん』第2シリーズでブレイク。
2006年3月22日、KAT-TUNメンバーとしてシングル『Real Face』でCDデビュー。
だが、人気急上昇中の同年10月12日に語学留学を理由に芸能活動を無期限休業します。
当時は、「メンバー亀梨との確執が原因か?」と話題になりました。
1年後の2007年4月19日にロサンゼルスから帰国。
芸能活動復帰を発表します。
《KAT-TUN在籍中の主な活躍を、時系列でリストにしました。》
- 2007年10月、日本テレビ系連続ドラマ『有閑倶楽部』で連続ドラマ初主演。
- 2008年7月、映画『スピード・レーサー』の日本語吹替版の声優を務める。
- 2010年1月公開の『BANDAGE バンデイジ』で映画初出演&初主演。
劇中バンドであるLANDSのボーカリストとして発売したシングル『BANDAGE』とアルバム『Olympos』がそれぞれオリコンチャート初登場1位を記録。
KAT-TUN脱退。ソロ活動へ。
2010年7月16日、正式にKAT-TUNを脱退する方針が、同日のKAT-TUNの東京ドームでのライブ開始前にジャニー喜多川氏から発表されました。
「人間関係のもつれではなく、方向性の違い」が脱退の理由ということです。
同年7月22日にソロ活動を発表。
8月31日、KAT-TUN公式サイトのプロフィールから赤西の名前が消え、赤西単体の公式サイトが開設されました。
《ソロ活動後の主な活躍を、時系列でリストにしました。》
- 2010年12月にワーナー・ミュージック・グループと契約し、2011年春に全米デビューすることを発表。
- 2011年1月14日から日本凱旋公演『Yellow Gold Tour 3011』を開催。
その途中、全米デビューシングルを発売することを発表する。 - 同年3月2日、「Eternal」でソロデビュー、発売初週で21万7000枚を売り上げ、オリコンチャート初登場1位を獲得します。
- 同時期に、キアヌ・リーブス主演映画『47RONIN』のオーディションに合格、 2012年12月にハリウッドデビューすることが決定した。
- 2011年11月8日、全米デビューシングル「TEST DRIVE featuring JASON DERULO」がiTunes Storeダンスチャート1位を獲得した。
- 同年12月28日、日本での2作目のシングル「Seasons」を発売。
- 2012年3月7日、ファーストアルバム『JAPONICANA』を日米同時発売。
2012年2月、ジャニーズ事務所のトップアイドルとして活躍中、「黒木メイサ」との結婚が電撃発表されました。
しかも、黒木メイサのお腹には赤西仁との第一子を身籠っていたこともあり、日本中のジャニーズファンに衝撃が走ったのを覚えています!
また、事後報告であったため、ペナルティとして、全国ツアーの中止と主演に内定していたドラマの降板という処分を受けたと報じられています。
翌年の、2013年6月23日、新曲「HEY WHAT’S UP?」の発売の発表と同時に、1年半ぶりの芸能活動再開が明らかになりました。
そしてジャニーズ事務所退社へ。
2014年2月28日、ジャニーズ事務所との間で、契約満了と再契約は行わないことで合意。
同日付けでジャニーズ事務所を退社します。
その後、SNSを通して、海外での活動に注力する意思を表明しました。
翌年の2015年、中国の北京市で開催された授賞式『愛奇芸尖叫之夜』で、「アジア人気アーティスト賞」と「年度音楽大賞」の2つの賞を日本人として初めて受賞します。
2016年には、山田孝之とユニット「JINTAKA」(ジンタカ)を結成し、シングル「Choo Choo SHITAIN」でCDデビューしています。
2019年、赤西は腰の痛みを訴えます。
「変形性腰椎症」と診断され、4月からのツアーの内容変更を発表しています。
回復後の同年12月には、錦戸亮との新ユニット、N/Aとしての活動を2020年から行うことを発表。
ただ、新型コロナウイルス感染症の拡大による影響で、活動の自粛を余儀なくされます。
そんな中、2020年4月22日、キャリア初となるベストアルバム「OUR BEST」を発売し、5月4日付のオリコン週間アルバムランキングで通算2作目となる首位を獲得する。
2022年12月には、東京ガーデンシアターで、「JIN AKANISHI Christmas Live 2022」を開催。
突然、襲われた病気とコロナ禍を経て、2018年以来のライブ開催となった。
2023年7月には、「Jin Akanishi 10th Anniversary Live」を代々木国立第一体育館にて開催。
最終日の公演にて5年ぶりとなる全国ツアー、「JIN AKANISHI FANCLUB TOUR 2023 YELLOW NOTE」の開催を発表した。
まとめ
今回は、元ジャニーズ所属。現在はソロで活躍中の「赤西仁」の軌跡を追いかけました。
「KAT-TUN」に在籍していたころは、いろいろと問題を起こしては世間をザワつかせいました。
そんなイメージもあり、2013年のアンケートでは、「嫌いなジャニーズ」で1位になったこともあります。
反面、ファンを大切にしているという一面もあります。
今回の調査で分かったことは、性格はムラッ気があり、我が道を進む行動派であるようです。
その性格が時に、自分勝手な行動をしていると読み取られ、不愉快だと思う人もいることでしょう。
ただ、歌い手としての実力には定評があり、今後の活躍が楽しみなアーティストの一人です。
2023年12月25日『離婚報道』を受けての追記
2023年12月25日の0時頃に、赤西仁、黒木メイサ夫婦のインスタグラムのストーリーズが更新され「ご報告」と題したメッセージが発表されました。
これを受けて報道各社は「離婚発表!」と、報道しています。
ただ、メッセージ内には『離婚』の文字はなく、『パートナーシップの形を変え』と書かれています。
ここからは著者の見解ですが、
このメッセージを見たときに、「お互い仕事に専念することを発表したのか!?」と想像しました。
その理由として
- 離婚の文字がなく、「夫婦としては・・・」と書かれている。
- 離婚の理由が見当たらない
- 赤西仁の仕事がかなり忙しく、スケジュールが詰まっている
- お互い日本のテレビ番組に久しぶりに出演した。
【赤西仁は2023年12月(およそ10年ぶり)、黒木メイサは2023年7月(およそ6年ぶり)
以上を踏まえて、
赤西仁はロサンゼルスを拠点に活動。
黒木メイサは、2人の子どもと共に日本に拠点を移し再活動。
というシナリオが描けると思われます。
まだ、一報として報道されただけで、はっきりとした理由は述べられていないので、追って更新させていただきます。