斎藤元彦さんは、第53第兵庫県知事として現職で活躍する政治家です。
今回はそんな斎藤元彦知事の神戸市にある実家について調査。
実業家である祖父との関係性についても調べました。
ぜひ、最後までお付き合いください。
斎藤元彦の実家は須磨区で、高級住宅地の豪邸だった!
斎藤元彦さんはケミカルシューズ製造の家に生まれます。
ケミカルシューズとは塩化ビニール等の合成樹脂を使用した靴です。
古くからゴム靴の製造を行っていた神戸。
戦後の1945年にゴムの配給を受けることができなくなったシューズメーカーは塩化ビニールなどの合成樹脂を使用したシューズを開発します。
以降、素材の開発や製法技術の改善、デザインの向上等により、神戸のケミカルシューズ産業は今日に至るまで大きく発展。
2014年3月には、地域団体商標「神戸シューズ」としてが認定されています。
引用:city.kobe.lg.jp
母方の祖父は大澤伸剛さんという方で、日本ケミカルシューズ工業組合の理事長を務めたことがあるほどの重鎮です。
そんな祖父をもつ幼少期の斎藤さんは、何不自由ない生活を送っていたようです。
幼少期時代の実家は「こぢんまり」していた!?
斎藤元彦さんは、公立の神戸市立若宮小学校に入学されています。
行平町1丁目~3丁目、若宮町1丁目~3丁目、青葉町1丁目~4丁目、小寺町1丁目~4丁目、外浜町1丁目~4丁目、鷹取町1丁目~4丁目、古川町1丁目~4丁目、衣掛町1丁目~5丁目、磯馴町1丁目~6丁目、松風町3丁目~5丁目(うちJR以南)、 村雨町3丁目~6丁目
若宮小学校区からすると、上図のエリア(JR神戸線「須磨海浜公園駅」~「鷹取駅」以南)に住んでいたものと思われます。
当時の様子を知る方のインタビュー記事から、斎藤元彦さんの幼少期の暮らしの一部を知ることができました。
一家は両親と元彦くん、そこまで年が離れていない弟の4人家族でした。
その当時は、普通のこぢんまりとした家だったんですが、母方のお爺さんがケミカルシューズ製造の大きな会社の社長だというのは、有名な話でしたよ。
中学校時代に須磨区内の高級住宅地に引っ越す。
斎藤元彦さんの実家は、斎藤さんが中学校入学以降に同じ須磨区内に引っ越しをしています。
兵庫県知事選に出馬した際、斎藤知事が「住所」とした現在の実家は “庶民的な下町” の家ではなく、斎藤知事が中学入学後に建てられた市内の高台にある新興住宅地の豪邸になっていた。
須磨区は下町と言われる南エリアと新興住宅地が並ぶ北エリアに分かれています。
父親は、祖父の会社の監査役を勤めていたことがあり、同時期に区内の豪邸に引っ越したものと思われます。
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斎藤元彦は、祖父に甘やかされて育ったお坊ちゃん!
斎藤元彦さんの祖父は、先にも少し触れたとおり、ケミカルシューズ界の重鎮である大澤伸剛さんです。
大澤伸剛:おおさわ のぶたか(1925年~2018年)
- 神戸市垂水区出身
- 株式会社オオサワ 元代表取締役
- 1996年、勲五等瑞宝章受章
- 日本ケミカルシューズ工業組合、元理事長
一家と交流があった知人が、祖父と斎藤さんのことを語っていました。
お爺さんが非常に元彦くんをかわいがっていたのは間違いない。中学から県外の私学に通わせたのも、お爺さんの意向で、学費を出してもらったからですよ。
もともと、お爺さんは元兵庫県知事の金井元彦さんと交流があったし、元彦くんを県知事にするため、英才教育に力を入れていたように思いますね
また、Wikipediaにもこのような記載があります。
斎藤が祖父に「あれが欲しい」とねだるとすぐにもらえた。
大学までの学費も祖父が捻出した。
旅行の前には必ずこの祖父に小遣いをねだりに行くようになり、一度祖父が小遣いを渡さなかった際には周囲に愚痴るほど、「おねだり」が当たり前の環境に育った。引用:Wikipedia
祖父も甘やかしすぎたと思たのか?小遣いを渡さない時期もあったようですね。
ただ、かなり甘やかされていたのは事実のようです。
斎藤元彦のwikiプロフ&経歴
最後に斎藤元彦さんのプロフィールを見ていきましょう。
プロフィール
- 名前:斎藤元彦
- 読み方;さいとう もとひこ
- 生年月日:1977年11月15日
- 年齢:46歳(2024年9月現在)
- 出身地:兵庫県神戸市須磨区
- 最終学歴:東京大学経済学部
- 現職:第53代兵庫県知事(2021年8月1日~)
- 前職:国家公務員(総務省)
- 所属政党:無所属
経歴
学歴や職歴にも触れておきます。
幼少期から大学時代
実家はケミカルシューズの製造会社を経営
近所の評判は秀才で真面目。
友達も多かった。
愛媛の中高一貫校で6年間、寮生活を送る。
中学校はソフトボール部。
高校2年生で、寮長を務める。
1年間の浪人生活を経て、東京大学へ入学。
在学中は授業へあまり出なかったこともあり留年している。
また、実家の家業が不況で傾いたため、奨学金を受けて卒業まで乗り切った。
職歴
2002年4月 総務省入省 2003年9月 総務省 大臣官房総務課 2005年9月 同 自治財政局 公営企業課 地域企業経営企画室 2006年4月 同 内閣官房副長官補付(内政) ≪官邸会議対応に従事≫ 2008年4月 佐渡市 企画財政部長
※2010.4~総合政策監 ≪がんばる地方応援プログラム若手職員派遣一期生≫2011年4月 総務省 大臣官房企画課 課長補佐内閣官房副長官補付
≪飯舘村政府現地対策室へ派遣、全村避難後の防犯体制構築≫2011年9月 同 大臣官房秘書課秘書専門官
≪総務大臣政務官秘書官≫2012年12月 同 自治財政局 地域自立応援課 課長補佐
≪定住自立圏構想、地域おこし協力隊の担当≫2013年7月 宮城県 総務部 市町村課長
≪沿岸市町のマンパワー不足の確保≫2014年4月 同 財政課長
≪東日本大震災の復旧・復興事業の予算編成≫2016年4月 総務省 自治税務局 都道府県税課 課長補佐 2017年7月 同 都道府県税課 理事官 2018年4月 大阪府 財務部 財政課長
≪大阪北部地震、台風21号、新型コロナ対応の予算編成≫2021年3月 大阪府・総務省退職 2021年8月 第53代 兵庫県知事に就任
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