その愛らしい笑顔が人気で、バラエティー番組やCMなどで活躍中の登坂絵莉さん。
レスリング現役時代は、向かうところ敵なしの59連勝を達成。
リオ五輪の金メダリストでもあります。
そんな登坂さんにはレスリングへ導き、支え、ときには厳しい目で見守った父と母の存在がありました。
今回は、登坂さんの昔(現役時代)にフォーカス、経歴や現役生活を支えた父と母について調査しました。
ぜひ、最後までお付き合いください。
登坂絵莉の昔から現在の経歴まとめ。
登坂絵莉さんの経歴を見ていきましょう。
4人家族の長女として富山県で生まれる
登坂絵莉さんは、1993年8月30日に富山県高岡市で生を受けます。
元レスリング国体選手の「父・修さん」と「母・安津子さん」、「兄」の4人家族。
ご両親は、「幼い頃の絵莉は長い髪でフリルの付いた服がよく似合う女の子」と語っているように、テニスやピアノ、英語などの習い事をさせてようです。
小学校から高校まで
登坂絵莉さんは、ご両親の意に反して小学校3年、9歳の時にレスリングを始めます。
中学の頃には、これまでの週3回の練習では足りないと思い、毎日練習できるジムに移り猛練習の日々が始まります。
- 2008年、15歳のとき全国中学生選手権で優勝を飾ります。
2009年至学館高校入学
- 2010年・2011年、全国高校女子選手権を2連覇。
大学・大学院から社会人時代
大学入学以降の2012年から2016年は登坂さんの全盛期で、向かうところ敵なし!
まさに無双状態の時代になります。
その実績をまとめました。
2012年
- 至学館大学に入学すると、ジュニアオリンピックでは1階級上の51kg級で優勝。
- 全日本選抜レスリング選手権大会でも、優勝を飾って世界選手権48kg級代表に選ばれる。
- 全日本レスリング選手権大会決勝では、今まで一度も勝てなかった九州共立大学2年の入江ゆき選手を破って優勝しています。
この2012年のレスリング世界大会では、誤審と疑われる判定で苦い敗戦を喫しています。
2013年
- 6月の全日本選抜レスリング選手権大会で優勝。
前年に続き世界選手権代表に選ばれます。 - 引き続いて行われた、7月のユニバーシアードでも優勝。
- 2013年9月のレスリング世界選手権、2012年の前回大会にて誤審で2位に終わった雪辱を果たして初の世界女王に輝きました。
2014年
- ワールドカップで優勝。
- 全日本選抜でも決勝で同郷の宮原選手を破って3連覇を果たします。
- さらには、世界選手権も2連覇を達成。
- アジア大会では決勝で2013年の51kg級世界チャンピオンである中国の孫亜楠を5-1で破って優勝。
- また、12月の全日本レスリング選手権大会では3連覇を成し遂げた。
2015年
- 6月の全日本選抜では4連覇を達成して、世界選手権代表に選ばれた
- 9月の世界選手権では決勝でロンドンオリンピック銀メダリストであるアゼルバイジャンのマリヤ・スタドニクと対戦ポイント3-2で、登坂が世界選手権3連覇を達成した。
2016年リオデジャネイロオリンピック代表に内定!
2016年
- 2月のアジア選手権では準決勝で孫亜楠に4-5で敗れて3位。
このときの敗戦は、2012年の誤審判定と言われた世界選手権以来、3年ぶりの敗戦になりました。
また、自身の連勝記録も「59」で止まりました。
8月17日のリオデジャネイロオリンピックでは、前回の敗戦のうっぷんを吹き飛ばすかのような快進撃をみせます!
- 決勝戦の終了間際に片足タックルから相手のバックを取って3-2で逆転勝利で優勝。
レスリング 女子フリースタイル48kg級で、金メダルを勝ち取りました!
11月、紫綬褒章を受章。
2017年から引退
登坂絵莉さん、2012年以降の怒涛の快進撃の裏で、実はケガに悩まされていました。
大学生になった2012年頃から左足の拇指球[ぼしきゅう](足の裏の親指の付け根にある膨らみ)に痛みが出始めます。
痛みとは逆に、自分の成長を肌で感じることができる時期でもありました。
ハードな練習で痛みを忘れる日々を送っていたようです。
それが裏目に出たのか、2015年からは左足の親指に慢性的な痛みが出るようになりました。
それでも、リオ五輪の内定を決めた登坂さんは、「リオ五輪が終わるまでは頑張る!」と決意しました。
そして、リオで金メダルを獲得したものの、代償は大きかったようです。
医者のすすめもあり、2017年1月古傷の左足親指の手術に踏み切りました。
- 2017年9月には1年1ヶ月ぶりの復帰戦となる全日本女子オープンレスリング選手権大会に53kg級で出場して優勝をかざります。
その一か月後の10月、左ヒザの内側じん帯損傷、左足首のじん帯損傷。
長年、左親指をかばってきたことが原因で、新たなケガにつながってしまいました。
- 同年12月の全日本レスリング選手権大会では新階級の50kg級に出場するも、準決勝で棄権。
左膝と左足首のケガを悪化させないための決断でした。
- 2018年6月、全日本選抜3位。
世界選手権代表を逃す。
- 2019年6月16日、全日本選抜の決勝で敗退。
9月の世界選手権の出場の可能性がなくなる。
- 同年12月には、全日本選手権で準決勝敗退。
東京オリンピック代表を逃がす。
その後、2020年8月に総合格闘家の倉本一真さんと結婚、2021年に第一子を出産しました。
そして2022年4月、第一線を退いたことが判明しました。
登坂絵莉の現役時代を支え続けた父と母
登坂さんの父・修さんは高校時代、レスリングで全国トップクラスの実力の持ち主でした。
そんな父は、息子(絵莉さんのお兄さん)にレスリングをさせたかったようですが、ハマったのは息子ではなく、娘だったようです。
その時のことを修さんはこう述べています。
「やっぱり、女の子じゃないですか。格闘技はちょっと……という思いでした。痛く、苦しく、つらいのはよく分かっていますからね。息子にレスリングをさせたくて練習を見学に行き、娘のほうが熱くなってしまったのです。困ったなあと思いましたよ」
AERAdot.(2016/08/18)
そして、レスリングに夢中になる娘を見て、自主練習に付き合うようになります。
小・中学校時代は、強豪相手を求めて父と遠征を重ねる日々を送ります。
遠征先では、費用を抑えるために車中泊する日もあったようです。
また、母・安津子さんもライバル選手をビデオ撮影して一緒になって研究。
栄養面でも絵莉さんをサポートしました。
高校進学で寮生活を始めたあとも、親元を離れて頑張る娘をずっと気遣い続けました。
登坂さんの2012年からの快進撃の裏には、支え続けた家族の存在があったようですね!
まとめ
今回は、リオ五輪金メダリストの登坂絵さんの経歴や家族について調査しました。
富山県で生まれ育った登坂さん、小学3年生の時にレスリングに出会い、すぐにのめり込みました。
父や母のサポートと本人の努力で、またたく間に頭角を現し、大学時代には59連勝を樹立。
リオ五輪では金メダルを獲得するなど、輝かしい実績があります。
その後は、ケガに泣かされ、2022年4月には引退していたことは判明しました。
現在は、第一子の母としての生活を送る傍ら、テレビ出演をこなし、忙しい日々を過ごしているようです。