酒井菜摘さんは、立憲民主党所属の政治家です。
高校卒業後に上京し、看護師、助産師を経て政治家になりました。
そんな酒井さんは過去に子宮頸がんを克服して出産した経験を持ち、その経験から子育て世代の母親を守ろうと一念発起し政治家の道へ歩みました。
そこで今回は、酒井菜摘さんの職歴を中心に調査。
政治家を目指したきっかけなどもお伝えしていきます。
ぜひ、最後までお付き合いください。
酒井菜摘の学歴:自由ケ丘高等学校卒業
酒井菜摘さんは福岡県北九州市の自由ケ丘高等学校の看護専攻科を卒業されています。
調べたところ、2010年に看護科の募集は停止しているようで、2024年現在は看護科の生徒はいないようです。
酒井菜摘の看護師・助産師時代
佐々総合病院
酒井菜摘さんは高校卒業後、2007年3月に地元福岡から単身で上京、同年4月から東京都西東京市の「佐々総合病院」で産婦人科の看護師として勤務を始めます。
その後、2011年3月に助産師免許を取得。
当時の旧twitterには喜びの声が投稿されていました。
助産師として新たな生活がスタートしました。
昭和大学江東豊洲病院
酒井菜摘さんは、結婚を機に江東区へ引っ越します。
その後、2013年からは昭和大学江東豊洲病院の周産期センターにオープニングスタッフとして新たな職場で勤務を始めました。
子宮頚がんを克服、女の子を授かる
酒井菜摘さんは2014年、28歳のときに子宮頸がんの宣告を受けます。
その後は休職しながら子宮温存手術と抗がん剤治療を受け、勤務を続けます。
体外受精と顕微授精による不妊治療を受け、切迫流産・早産と2度の流産を経験。
辛い経験を乗り越え2017年、長女を出産しました。
そんな娘さんも2024年4月から小学校へ入学。
まだまだ甘えん坊のようです。
酒井さんは、2018年に現場に復職されています。
酒井菜摘は現在、政治家として活動中
酒井さんは現在、政治家として同年代の女性や妊娠、子育て中の女性の力になるため、日々活動しています。
政治家になったきっかけ
2015年の統一地方選、選挙掲示板のポスターでシングルマザーや保育士の女性候補を見かけたことから政治家を志します。
助産師として見聞きしてきた地域の子育て世代の苦しみ、がん治療、不妊治療への疑問。
立憲民主党 公式サイト
医療者としてだけでは変えられない現実にぶつかり、政治活動を思いついた。
酒井さんは、このように語っていました。
現場の力だけでは限界を感じ、先頭に立って改革を行える政治家になろうと決めたようです。
政治家としての活動歴
酒井菜摘さんの政治家活動歴を見てみましょう。
- 2019年4月21日、江東区議会議員選挙に立候補し、初当選します。
- 2023年4月には、第3位(立候補者54名)である8,067票を得て再選。
- 2023年11月16日、同年12月10日投開票の江東区長選挙に立候補。
区長選挙には落選。
「古い政治と決別できませんでした。」から始まるコメントを発表。
私たちの挑戦はこれからも続きます。
投票して下さった区民の皆さまへ心から感謝申し上げます。
多大なるご支援をいただき、大きな大きな挑戦をさせていただきました。
今はたくさんの方の顔が頭に浮かび、あたたかな気持ちです。
大きな決断をした候補者の皆さんにも敬意を表します。
私はこれからも江東区に貢献していきたいと存じます。
引き続き、ご支援ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。
区民への感謝の気持ちとこれからの決意を表明しています。
- 2024年4月4日、衆院東京15区補欠選挙に出馬表明しました。
この選挙に向けて、このように決意を述べています。
驚くばかりの不祥事が続いている。
日刊スポーツ(2024/04/04)
国会でも(自民の)裏金問題では説明責任が果たされておらず、無念の思いをしている。
利権やお金の力で動く古い政治ではなく、信頼と寄り添いの政治が求められている。
国民の声を受け止め、医療や福祉、子育てなどの社会課題にひたむきに取り組む。
まとめ
今回は、酒井菜摘さんの経歴のなかの主に職歴を中心に調査しました。
助産師の経歴をお持ちの酒井さんは、自身の辛い経験から子育て世代の母親を守ろうと政治家を目指します。
近年は「政治と金」問題に揺らぐ江東区で、妊娠・子育てなどに悩む女性をどのような政策で助け舟を出せるのか?
酒井さんの政治の手腕にも注目していきましょう!
【衆院東京15区 補欠選挙】