2児の母であるとともに、ドラマやCM、映画に舞台と大活躍中の紺野まひるさん。
若い頃は宝塚歌劇団の雪組トップ娘役を務めた経歴があることはご存知でしょうか?
また、宝塚時代はひどい生理痛に苦しめられていたことも後に語っています。
そこで今回は、紺野まひるさんの若い頃。
宝塚歌劇団時代の経歴を画像多めでまとめました。
ぜひ、最後までお付き合いください。
紺野まひるの若い頃《宝塚時代》経歴まとめ
早速、紺野まひるさんの宝塚時代の経歴を見ていきましょう
1994年、宝塚音楽学校入学。
紺野まひるさんは高校に通っていたものの、夢を叶えるため1年生で中退。
宝塚音楽学校に入学しました。
1996年、宝塚歌劇団入団
- 19歳で宝塚歌劇団に82期生として入団。
入団時の成績は3位。優等生として通過しました。
入団後は、娘役として活躍。
- 1996年3月~5月、月組公演「CAN-CAN/マンハッタン不夜城」で初舞台を踏みます。
その後、雪組に配属されます。
- 1996年8月~9月、「虹のナターシャ」で新人公演初ヒロイン。
正統派娘役として期待を集め、以降7回もヒロインを務めました。
2002年12月、雪組トップ娘役に就任。
- 2002年3月~4月、絵麻緒ゆうの相手役として「殉情」で、トップコンビお披露目。
2002年9月、宝塚歌劇団退団
- 2002年5 月~9月、「追憶のバルセロナ/ON THE 5th」東京千秋楽を持って絵麻緒ゆうさんと同時退団。
トップとしての大劇場主演作は1作のみという早期退団となりました。
紺野まひるさん、25歳。
在団期間は6年でした。
退団エピソード
紺野まひるさんは、雪組トップ娘役になる前に退団する決心をし、周りにもその意向を伝えていたようです。
ところが、ある日雪組トップスターの絵麻緒ゆうさんから相手娘役のオファーを受けます。
このとき、すでに退団届を出していた紺野さん。
周りに迷惑が掛かってしまうと思い、かなり悩んだそうです。
その時のいきさつを絵麻緒ゆうさんはこのように語っています。
彼女は「でも退団することは周りの方にお話ししているので少しお時間いただけますか」って言われて。
日刊スゴい人!(2020/09/15)
私は「もしあなたが嫌な思いをしたら、私はトップの力を利用してでもあなたを絶対守るから相手役になってほしい」ってプロポーズみたいな形でお願いしたら、まひるちゃん、泣いちゃって。
そして2、3日後に「こんなに求められて相手役になれることなんて無いって周りの方にも言われ、私も本当に嬉しかったので、絵麻緒さんの相手役になります」ってお返事くれたんです。
かなり熱烈なオファーを受けたようですね。
この後はトップ娘役として、絵麻緒ゆうさんと共に宝塚歌劇団を退団することとなります。
紺野まひる、宝塚退団理由は生理痛なのか?
もともと生理痛持ちだった紺野さん。
宝塚の舞台に立つようになった19歳から20歳ころには、痛み止めが手放せないほどに症状が悪化していたようです。
あまりにもひどいので20歳で婦人科を受診。
子宮筋腫の診断をうけ、この時の筋腫の大きさは2cmだったようで、手術するほどの大きさではないと医者に言われ舞台に立ち続けました。
生理痛が退団理由の原因のひとつであったのかは語られていませんが、25歳の退団時まで痛み止めが手放せない状態が続いたようです。
そして退団後の31歳の時には筋腫が8cmまで巨大化。
開腹手術で切除されています。
結果、子供ができるのは少し遅くなったものの、現在は2人の女の子に恵まれています。
最後に
今回は、紺野まひるさんの宝塚歌劇団時代にフォーカスしてお届けしました。
大阪府豊中市で1977年4月に生を受けた紺野さんは、音楽好きの父の影響を受けて幼少期からいろんなジャンルの音楽に触れていたそうです。
子供のころからピアノとバレエを習っていた紺野さん。
とくに歌うことが大好きで、宝塚歌劇団に興味と憧れを抱くのは当然だったのかもしれません。
これからも紺野まひるさんの活躍に注目したいですね!