タレントやモデルとして活躍中の井手上漠(いでがみ ばく)さん。
「男でも女でもないジェンダーレス」としての自分を世間に発信。
多様性時代のシンボルとして注目を集めています。
そんな井手上漠さん、島根県の隠岐島出身で良き理解者の家族の中で育ちました。
ということで今回は、井手上漠さんの家族を中心に、その生い立ちも調査しました。
ぜひ、最後までお付き合いください。
井手上漠の兄弟は、姉・井手上暖乃(のんの)
井手上漠さんには、2001年4月生まれ(漠さんは2003年1月生まれ)の姉・暖乃さんがいます。
上の写真でもわかるように、よく似ていて二人とも美人ですよね!
二人は仲良しで高校の頃は、よくデートしていたようです。
そんな暖乃さん、弟がジェンダーレスであることを知ったときは少々とまどったものの、受け入れて応援することに決めたようです。
高校卒業後、大学進学を諦め看護師になることを決意。
生まれ故郷の隠岐島を離れ勉強に打ち込みます。
今頃は、どこかで看護師として新たなスタートを切っているはずです。
井手上漠の生い立ちは母子家庭で、母の愛情を受けながら育った
井手上漠さんは、母子家庭で育ちました。
獏さんが幼い頃に両親は離婚。
女手一つで育ててくれた母には非常に感謝しているようです。
漠さんが3歳の頃、親類の結婚式に出席しことがあるようです。
そこで花嫁のウエディングドレスを見たときから、かわいいものや美しいものに興味を抱くようになったそうです。
その時のことを母への手紙でこう綴っています。
この世にはこんなに純白で美しくてキラキラしたものがあるんだ、見るだけで癒しをもらえるものがあるんだって、3歳ながらすごく興奮して。それをきっかけにかわいいものやキラキラしたものがすごく好きになって、自分もいつかこういうものを着たいっていう願望を抱くようになりました。
20歳になった私からお母さんへ-井手上漠―
その後は、年齢を重ねるにつれて自分と周りの子供たちとのギャップに悩まれたようです。
周りの男の子にくらべて、長い髪型が好きだったり、フリフリの衣装が好きだったり、美容に関心があったり。
このような変化に「周りと何か違う!」と思い、悩んだ時期もありました。
そのことにお母さんも気づいていたようで、「漠は漠のままでいいんだよ」と言ってくれたことで心が解放されたようです。
その後、学校の先生の勧めで自分のことを弁論大会で発表し、文部科学大臣賞を受賞。
また、診療所の先生の勧めで「ジュノンボーイコンテスト」を受け、ファイナリストになりました。
トランスジェンダーに否定的なまなざしを向ける人も多い中、一番の理解者であるお母さんの存在はかなり大きかったと思います。
獏さんは、母への手紙の最後でこう書かれています。
私は世界一幸せな息子です。
20歳になった私からお母さんへ-井手上漠―
心配かもしれないけど、私は大丈夫だよ。
お母さんがくれた強さと優しさで戦っていけます。
成人になって、またいろんな壁にぶつかっていくだろうけど、 「漠は漠のまま」ありのままで頑張っていくよ。
私を産んでくれて、20年間育ててくれてありがとう。大好き。
母への感謝と愛情がこの短い文章に溢れていますね!
まとめ
今回は、井手上漠さんの家族や生い立ちを調査しました。
お母さんによると幼少期は男の子として育った漠さん。
結婚式でウエディングドレスを見たことをきっかけとして、女性の自分がいることに気づき始めました。
葛藤の日々を過ごす中で、理解して寄り添ってくれた母と姉。
家族や周りの理解者の存在はかなり大きかったことでしょう!
これからも井手上漠さんの活躍に期待したいですね!!