タモリ激似モノマネ「ジョニー志村」人生の分岐点にいた3名の人物

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2023年、タモリのモノマネで大ブレイク中の「ジョニー志村」。

遅咲きのモノマネ芸人として認知されている方も多いと思います。

最近では、世間の認知度も上がり、テレビ出演も多くなったジョニー志村。

目次
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ジョニー志村とは

ジョニー志村のプロフィールを紹介します。

  • 本名:志村 序(しむら はじめ)
  • 生年月日:1972年12月25日
  • 出身地:神奈川県
  • 身長:172cm
  • 事務所:ツーフェイス・プロモーション
画像引用:X

20代までは普通の生活を送っていた

父、母、3人兄弟の長男としての家庭で育つ。

後に、「いたって平凡ながらも、幸せな家庭で育った。」と語っています。

小学生の頃にはすでに、周りの友達をモノマネで笑わせるなど、早くもお笑いの才能を披露していました。

中学、高校、大学と順調に人生を歩み、芸人の世界ではなく、一般企業に就職を決意するも、バブル崩壊のあおりをうけて内定先の企業が倒産。

その後は仕事を転々とし、一般にいう「フリーター」として、普通の生活で生計を立てていたようです。

人生の転機は、父の他界

お笑いの仕事とは無縁の仕事でフリーターを続けていた27歳のジョニー志村。

2000年6月、人生の転機は突然やってきます。

お父さんが急に他界、お父さんが経営していたスキューバダイビング専門店を継ぐことになったのです。

後のインタビューでジョニー志村は、その当時を語っています。

「大学卒業後、家業を継ぐ選択肢もあったんです。でも、苦労を知っていたからか、父は『継がせたくない』と言っていました。急逝した当時はちょうどレジャーシーズンにさしかかる直前で、僕は『ノウハウがないし、できない』とも思ったけど、父を慕う人たちの熱意も受けて継ごうと決めました」

東洋経済オンライン

家族やお父さんを慕うスキューバダイビング仲間の助けを借りながら、慣れない経営に奔走しましたが、わずか5ヶ月で店をたたむことを決意します。

そして、28歳の冬、「真剣に自分に向き合い」「将来の自分を想像」した結果、お笑いの世界に飛び込むことを決意します。

青年だった28歳のジョニー志村青年に、2度の大きな分岐点があったようですね。

2000年頃のジョニー志村

ブレイクのきっかけ

2000年、28歳でモノマネ芸人の道を歩むことを決意したジョニー志村。

2004年から2009年、モノマネユニット「土浦ーズ」を結成。

2008年から2013年、お笑いコンビ「影武者X」としても活躍。

お笑い芸人としてのスキルを地道に磨いていきました。

それから約10年の歳月を経て、努力と才能が開花する時がやってくるのです。

2022年12月17日放送の、『ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ2022』の誇張しないタモリのモノマネで世間の注目をあびました。

2023年4月29日『ズームイン!!サタデー』のテーマソングとともにタモリのそっくりさんとして登場すると、「あまりにも似ている!」と大反響。

全国の注目の的となり、一気にブレイク!

地元の小学校で人気者だった少年は、全国のお茶の間の人気者になりました。

本物のタモさん?ジョニー志村?どっち??

ブレイクは周りの人々の支えや助言のたまものだった

調査を進めるうちに、ジョニー志村への様々な人々からの支えや助言があったことがわかりました。

その一部を紹介します。

「好きなことをやれ!」

この言葉は、若くして急逝したお父さんの言葉です。

ジョニー志村が、インタビューで答えた内容を引用します。

スキューバダイビングの仕事は『人の命を預かる仕事だから、大変だぞ』と生前、父がよく言ってたんです。周囲には『継いでほしい』と漏らしていたようだけど、きっと、苦労を背負わせたくなかったのだろうと。僕に対しては『こんな仕事じゃなく、好きなことをやれ。自分の人生なんだから!』と力説してくれました」

東洋経済オンライン

「好きなことをやれ!自分の人生なんだから!」

かなりのパワーワードですね。

お父さんは、ジョニー志村のお笑い芸人としての才能を見抜いていたのかもしれません。

タモさん、できるんじゃない

2018年に所属事務所の社長からの一言です。

モノマネ芸人としての芸歴を重ね、自らの芸風の変化を感じていた頃、タモリのモノマネに本腰を入れるきっかけを作った言葉です。

ジョニー志村がデビューしたての28歳の頃から、「タモリ」はモノマネレパートリーにありました。

ただ、当時はサングラスモノマネの「井上陽水」「松山千春」「舘ひろし」の「つなぎ芸」として使っていた程度だったようです。

年を重ね、顔にも貫禄が出てきたということもあるでしょう。

2018年以降は、タモリの風格や表情、喋り方などをより深く研究。

タモリモノマネに磨きをかけていくことになりました。

この事務所社長が見抜いて、背中を押した一言がなければ、「タモリモノマネ」は、今でもパッとしないつなぎのモノマネとして使われていたかもしれません。

一番厳しい審査員

ジョニー志村が29歳の頃、一般人女性と結婚しています。

結婚当初、奥さんはモノマネが大嫌いだったようで、「モノマネの意義が分からない。本物を見ればいいんだから」といわれ、かなりショックを受けたようです。

そんな、奥さんにジョニー志村は、「別人が本人を演じているから面白い。いかに似せるかでお客さんを喜ばせるかがモノマネ芸人の醍醐味だ」と何度も説得。

そんな熱意と真剣にコノマネ芸を追求する姿を見て、少しずつ考えを改めたようです。

いまでは、妻が一番厳しい審査員」と言えるほど、最大の理解者になっています。

奥さんの支えがあって、モノマネ芸人「ジョニー志村」を熟成させていったのでしょうね。

このクオリティ。本物にしか見えませんね。

まとめ。

今回は2023年にブレイクを果たしたモノマネ芸人「ジョニー志村」を調査しました。

普通の生活を送ってきた青年期。

そして、人生の転機となった「父の急逝」。

家族や仲間の支えで始めた経営者時代と挫折。

父の言葉を胸に、新たな人生を歩み出した2000年代。

事務所社長の一言で、道が定まり、突き進んだ結果のブレイク!

タモリ以外にも、30以上のモノマネレパートリーを持っています。

タモリをメインモノマネキャラに、これからも様々なモノマネで人々に笑いを届けてくれることでしょう。

「ジョニー志村」これからも一緒に応援していきましょう!

画像引用:ツーフェイス・プロモーション

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